2010年1月29日金曜日

加藤良三:日本の「反米」感情のかなりの部分は「反親米」にすぎない!

今朝の日経「経済教室」で加藤良三氏が書いておられることは、とても重い。生半可なものではない。外交に一生をかけた同氏のニッポン観の集大成と言っていいだろう。同氏は「『反米』や『離米』を唱える向きの多くは、実は日本国内の『親米・知米』への恨み、つらみを述べているにすぎない。一言で言えば、これは『反米』というより、むしろ『反親米』が複雑に絡まった『コンプレックス』の症状である」と喝破する。これは日米関係にだけ当てはまる視点ではない。この「親米・知米」を「合理主義」という言葉に置き換えるだけで、現代日本で行き詰まっているほとんどすべての政治・経済問題が説明できる。

「反親米」とは「反合理主義」。「合理主義」は客観的な尺度として数字(貨幣)を持ち出すので「反親米」は「反おカネ」さらに「反資本主義」、「反グローバリズム」となる。合理主義への対抗として「反親米」派が持ち出すのは「ニッポン的ムラ文化」。昔に戻れと言うことになるが、その昔の江戸時代とは、間引きと働かないサムライの不労所得に代表される退嬰的な社会に他ならない。

この「反親米(反合理主義)」派は最近勢いづいている。自分たちが「勝ち組」になったつもりでいるらしい。ニッポンはいよいよ落ち目。

加藤良三氏は「この『反親米』感情は日本人の『甘え』である。しかし米国はある日突然キレて日本との関係を断絶なんかはしない、ただ今後ゆっくりと且つ確実に日本との距離を広げていくだろう」という。同じ日経紙面で経済同友会の牛尾治朗氏が「(今の政治状況では)企業は黙って海外に工場を移していってしまう」と述べているが、その通りだ。合理主義者は、ゆっくり且つ黙って、活動の場を少しずつ日本以外に移していくのだろう。本人は物理的に日本に住んでいても、おカネはグローバルなのである。

2010年1月24日日曜日

東洋経済:就職人気ナンバーワンは「公務員」……こんな日本に誰がしたんだろう?

憂鬱なニュース:
就職人気ナンバーワンは「公務員」、メガバンクでもなければ、資生堂でもない! | 経営実務 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン: "学生の就職人気ランキング第1位は大手有名企業ではなく、「公務員」だった。"

自分が学生だったら同じような選択をするだろうなと思うところが、なんともくやしい。

ニッポンのビジネスは落ち目である。今後もあんまりいいことがあるようには思えない。これは日本産業の競争力が落ちたと言うよりも、その周辺に所在する既得権集団が、競争力のある日本産業に寄生することにあまりに慣れっこになり、強欲に自分たちへの分配を主張し、政治力によりそれに成功してしまったことにより、日本経済全体が高コスト体質となり日本産業の競争力が疲弊してしまったためだろう。世界に冠たる競争力を誇った日本の輸出産業も。これだけ扶養家族が増えてしまっては身動きがとれないのである。それでも必死に国際競争力の維持に努めている。それがリストラによるコスト削減。都市サラリーマンの生活は厳しいわけである。

ところが既得権者としての分配だけが保障されている「扶養家族」の方はそんなことは一切気にせず自分の権利ばかりを主張する。公務員ばかりじゃない。農村住民も「準公務員」的な身分にあり制度的に手厚く保護されている。所得自体が保証されているので不況なんか何処吹く風だ。

現代ニッポンは一種の「身分社会」だ。今の学生はそのへんの仕組みをよく見ているなあと感心した。

2010年1月22日金曜日

BS7 : デフレの中で値下げ圧力に抵抗しそれに成功する納豆業界……いやはや

考えさせられてしまったこの番組:
BSジャパン ガイアの夜明け 第1弾 : "「価格競争」「価格革命」…消費者にとっては、物が安く買えるいい時代である。しかし、一方で企業は利益をすり減らし、社員の給料も下がっていくというデフレスパイラルも進行中だ。安さと不況…ニッポンを覆うデフレの波とどう闘っていけばいいのか…。"

世界中のみんなの収入が減っているのに、納豆だけは高く売るのだという。おいらは関西人なので納豆みたいな下品な食い物は食わないけれど、あいつらは商売のやり方も悪辣で下品だな。

世界で一番生産性が悪いニッポンのヒャクショウ達は「農家戸別所得保障制度」のおかげで、世界不況の影響をもろに受けているサラリーマンと違って、いかなる不況になろうとも自分たちの所得は保障されている。ウハウハである。それなのに、消費者(特にサラリーマンのエコ奥さん連中)を騙して国産食料品への支出に余分にお金を使わせることで、自分たちだけがいい思いをしようと画策するのだ。もううんざりである。

可哀想なのはそれに騙される都市消費者たち。こんな無駄遣い消費パターンを続けておれば、キリギリス同様、あなたたちの将来はない。もういい加減にその現実に目を覚ましたらどうか。

2010年1月20日水曜日

隠居のつぶやき:小沢の役割はもう終わったんじゃないか?

小沢事件。民主党支持者の「検察」批判が目立つ。倫理的にはまったくめちゃくちゃだが、小沢を失脚させてしまうと民主党の「改革」が出来なくなると云う強迫観念からだろう。みんなあまりに「ニワカ政治家」すぎるのじゃないかな〜。悪いものは悪いのである。こういうときは「原点に帰って」考えるべきだ。

「政策目的実現のためには(少々悪辣なことでも)手段を選ぶべきでない」というマキャベリ型の考え方は真理である。でも、小沢の「政策目標」は何だったのか? 「二大政党間での政権交代を可能にするシステムの実現」のための「政治権力の獲得」以外には何も具体的なものはなかった。この目標は既に実現されている以上、小沢の歴史的役割はもう終わったと言っていい。

収賄を立証するには小沢の職務権限から難しいという三百代言的弁護はもうたくさん。ビジネスをしている以上、誰かに商売を潰されてしまうかも知れないというリスクは、多少のお金を払っても回避するべきものなのである。小沢はその企業の「リスク回避本能」をうまく利用し、合法的に国民の税金をピンハネして自分と自分の家族のために蓄財をした。これだけで十分である。小沢がそれで生きてきた田中角栄的「イナカの金持ちに国民のおカネをバラマキ、政治家がその見返りを得る政治」とは、いよいよバイバイする時がきている。ニッポン国民は、それではじめて、戦後の日本を歪めてきたイナカ重視の田中角栄的価値観の呪縛から解放されることが出来るのである。

小沢なしでは参院選に勝てないという。まあ、それもいいではないか。民主党のニッポンが近衛文麿的(旧自民党的)「翼賛政治」になってしまったら、もっと困る。国会が機能しなくなると言うが、バラマキ法案などは成立しない方がよほどニッポンのためだ。

2010年1月16日土曜日

「(教官は)どこまで学生の就職活動に関与する必要があるのか。その道のプロにまかせた方がいい」(山口大学教授、城下賢吾)

1月14日の日経「十字路」コラム。考えさせられた。象牙の塔で研究に専念するべき大学の先生たちは、自己投資を怠り就職する気もない学生の就職指導に多大の時間を無駄にしているという。

そもそも、あなたたち大学教授の職場を確保するために、田中角栄が全国津々浦々に「駅弁大学」を大量に作り、大学教育に不適格な学生達を大量に受け入れたのが諸悪の根源ではないのか(遠藤周作はフランスの大学に留学し「ニッポンには大学が何百とある」と自慢したら、先方の教授から「フランスではそんなもんは大学とは言わない」と返され憤慨していたが、フランスの大学教授の方が正しい)。納税者に多大の犠牲を払わすことになった駅弁大学の大量建設のおかげで、イナカの地主や土建屋は大儲けしたが、都市ではポストがなかった万年助手先生達も同時に大助かりしたはず。あまり天に唾するような発言は差し控えた方が良いと思う。

小沢一郎事件:検察は「百罰百戒」の精神で突き進め!

小沢一郎にしてみれば「みんなやってることなのに、どうして俺だけが? 検察の横暴だ」という気持ちだろうが、納税者のおカネをちょろまかして、それでもって選挙民の票を買うのは立派な犯罪である。ハトポッポ君も相続税と贈与税をちょろまかしてばらまいて選挙に勝ったのだから同罪。くやしかったら、ご自身が把握している事実に亀井静香が持っている警察情報も活用して、自民党議員に片端から告発し報復したらいい。検察もおいらの税金でメシを食っている以上、「一罰百戒」などと言うのではなく、悪い奴を片端から逮捕しまくることこそが与えられた使命だ。「百罰百戒」である。それでようやくニッポンの村落共同体依存のムラ政治(金権政治)も正常化されるのである。

村落共同体の活動とは、基本的に「のみ食い」。これがないとムラ社会は維持できない。ムラ社会の上に成り立つ政治は必然的におカネがかかり、そのお金を工面するために都市納税者のお金をくすねるのだ。「一票格差」を是正し、買収が効かない都市票への差別をなくして高め、都市票の4倍までに不当に高く評価されていてさらにおカネ次第で動くイナカの票の価値を減価させることことこそが、金権政治からの究極的な脱皮方法である。

2010年1月15日金曜日

NHKBs3:アーカンソーのコメ作り……とても効率的で生産的、でもどうしてニッポンでは実現できないのだろう?

考えさせられてしまった番組:
NHK プレミアム8<紀行> コメ食う人々「第5回 巨大農場のアメリカンドリーム」: "最先端技術を駆使し、世界最高水準の効率でコメを生産するアメリカの巨大農場を訪ねる旅。旅人は俳優・照英。旅はまず、アメリカ最大の穀物輸出港ニューオーリンズで珍しいコメ料理の数々に出会うところから始まる。さらにアメリカ最大の米作地帯アーカンソー州へ。レーザーを使った精密な耕作、飛行機による肥料の空中散布、10トントラック並みの大型トラクターが行き来する農場…。そこはまさに世界の“コメ生産工場”だった。"
たまたまこれは米国の農場だが、ヨーロッパでも同じようなもの。昔のヨーロッパは今のニッポンと同じような小規模の農地ばかりだった。しかし18世紀からのエンクロージャーで大規模化が進み、国民消費者の生計費はドラスティックに節約でき、みんなが豊かになった。ところが、マッカーサーが日本の共産化を防ぐ目的で導入した農地解放とニッポン農業の小規模自作農家化政策が、日本の小規模農業者を既得権集団化させ、その世襲される権利が法律的に保障されているがために、ニッポンの経済発展は阻止され、いつまで経っても農家以外の国民はみんな貧しいままなのだ(都市のみすぼらしい電柱景観と洗濯物を見よ、世界中からバカにされている)。悲しいことである。

ニッポンの農家の百倍以上の規模を持ち、高度に機械化され、IT化され、世界に貢献している米国のコメ農家の生活レベルは、驚くことに、ニッポンの非効率な小規模農家の生活レベルを遙かに下回る質素なものである。これはおかしいことである。米国農家が可哀想であるということではなく、ニッポンの農家は、都市住民の犠牲の上に、ボロ儲けし過ぎているということなのである。ニッポンでは国際的歴史的にきわめて非効率な農村既得権集団が政治的発言力を高めた結果、自分の働きが悪いままにそれを正当化し、国民のウヨ的ナショナリズム感情の乗じて、国民のおカネを搾り取って自分たちの生活水準を実力以上に高めることに大成功をおさめたからに他ならない。あいつら既得権集団はいまNHKなどのマスコミを総動員して自分たちの非効率労働の正当化に必死だが、これではニッポンの限られた生産資源はいよいよ浪費され、ニッポンはどんどん落ち目になっていくのである。そのコストを払っているのは、都市住民。テレビの宣伝にすぐ洗脳されてしまう「地産地消」PTAおばさんたちは、うまいこと騙されて自分の生活水準を犠牲にしているのであるが、何故だかそれに気がついていない。

これではしようがない。日本はやっぱり売りだ。

2010年1月14日木曜日

「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい」鳩山首相

「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい」鳩山首相 - MSN産経ニュース: "鳩山由紀夫首相は14日、首相官邸で開かれた温室効果ガスの25%削減に向けたイベントであいさつし、「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい自然に戻るんだという思いも分かる」と述べ、独特の世界観を披露した。"

ハトポッポ君的には、正しくって科学的な見解なんだろうが、それじゃ何で「子育て支援金」なんかを交付すると決めたんだろう? おいらは頭が悪いのでさっぱり分からん。

江戸時代の「間引き政策」にもどれというのかと思ったら、そうでもないらしい。子育て支援を続けるという。思うに、「ニッポン人は”産めよ増やせよ”政策でどんどん増えた方が良い、でも日本人以外の下等民族は減った方が良い」ということらしい。それじゃないと合理的に説明がつかない。ハトポッポ君はヒトラーなのか?

「アホウヨ」と「アホサヨ」はしょせん同根。戦前に近衛文麿が言ったとおりだ。アホ民主党に対峙するべき自民党は早々と「国粋主義路線」で行くという「アホウヨ迎合路線」を決めたという(産経新聞)。しょせん同じもん同士の対立軸でしかなくなったニッポン政治はどんどんドツボに陥りつつある。

NHK「クロ現」:神戸発 災害ボランティア……これはとてもよかった!

NHK「クロ現」にしてはとてもよい番組:
クローズアップ現代 NHK 神戸発 災害ボランティア:"阪神淡路大震災以来、日本で培われてきた災害ボランティアの活動が、今、世界各地の災害現場で被災者支援にいかされ、注目を集めている。その代表的存在は、神戸のNGO「CODE海外災害援助市民センター」。インド洋大津波や四川大地震など44の地域で、政府の援助が十分に行き届かない災害弱者の支援を行っている。各地の現場で彼らが何より重視するのは「被災者の声」と「支援の継続性」。背景には神戸以来の苦い体験がある。災害直後はボランティアが大挙して押し寄せるものの、マスコミの関心が薄れると、被災者は取り残されてきた。そこでCODEなどの団体は、被災者の声に徹底的に耳を傾け、何が本当に必要なのかを探り、支援していく手法を磨き上げ、世界各地で高い評価を得るまでになったのだ。中国・四川省の被災地で続けられている支援活動をリポートし、世界をリードする神戸発災害ボランティアの最前線に迫る。"

ところがクニヤは「どうしてニッポンの可哀想な人を助けないの?」と言いたげなそぶりだったが、結局言い出せず。

ハイチではとてもひどいことになっている。十万人単位の死者が出た模様。中国政府は早くも大規模な救援部隊を派遣している(アメリカのマスコミが報道している)。ニッポンのマスコミ(NHKなど)は「日本人の犠牲者はいない模様です」との報道でお茶を濁している。NHK的にはハイチなんかは世界の果てで、住んでいる人間は人間ではないのだ。自分たちの支持基盤(スポンサー)である日本のイナカの災害には異常なまでに過剰反応し「イナカを助けてあげねばいけない!」というヒステリー報道をするニッポンのマスコミは、しょせんイナカの既得権集団への更なる利益誘導を図る宣伝機関でしかすぎなかったのであることが明らかになった。

ニッポンを席巻するウヨは大嫌いだ。自分の利益しか考えていないからだ。こういう価値観がニッポン中に広まってしまった。嘆かわしいことである。

2010年1月13日水曜日

NHKクロ現:正社員化と地産地消の品揃えでスーパーはデフレでも儲けることが出来る……ホンマかいな?

今晩のクニヤ:
クローズアップ現代 NHK1月13日(水)放送 激安に異変? 消費者つかむ新戦略:"デフレが深刻化する中で、安売り以外の戦略で客の心を掴もうとしているスーパーが注目を集めている。「コストを削減する」小売りの常識を否定し、あえてコストをかける戦略を打ち出すところも。首都圏にある「オオゼキ」は、従業員の7割を正社員にしてそれぞれの担当者に値決めや品揃えを任せる「個店主義」を打ち出している。さらに、福岡にある「ハローデイ」はお客さまカードを活用して、客が欲しい商品は原則的にすべて仕入れることにしている。大量仕入れによるコスト削減とは真逆のやり方だ。独自性をどう打ち出して客の心を掴むのか、スーパーの戦略に迫る。"
正社員を増やし、醤油とか味噌を「地産地消」が大好きな消費者の好みに合わせて500種類以上店頭に並べるのが成功の秘密だという。NHK的にはとてもポリティカリーコレクトな報道。でも本当にこれで儲かっているなら、ニッポン経済は巨大な無駄遣いに貴重なお金を浪費していることになる。ニッポンはどんどん落ち目になってしまう。

直前のNHK番組は、ポーランドでは昔の共産主義を懐かしむツアーが人気を呼んでいるという報道。グローバリズムはよろしくなかったとか言いたげな復古趣味の番組だったが、まあ、NHKは市場主義に背を向けて国民から強制的に徴収する視聴料で成り立っている既得権利益共同体だから市場主義に批判的なのは分かるけど、ちょっと臭いんじゃないかしらと思った。

社会主義下のポーランドでは生活必需品に500種類もの選択は出来なかったよ。これはあきらかに経済資源の浪費だったからだ。たかが食うものにそんなに拘るのはとてもカッコウが悪いので、個人的にはポーランドの共産主義の方がよほど合理的であったと思う。資本主義社会においてもそういう「質実剛健的価値観」は健在だ。ニッポンだけがへんな無駄遣い価値観に毒されている。特定利権集団がみんなをそう洗脳することで儲けようとするためだ。国民の利益を代表するべきNHKがそんな利権集団のお先棒を担ぐことはないだろうと思うのだが、残念ながらそういうことになっている。悲しいことである。

SBI個人向け社債、今朝から売り出し

個人向け社債ウォッチ!: 【第11回】SBIホールディングスが個人向け社債発行!: "販売はSBI証券が独占です。"


SBI証券とは昔の E*TRADE 。ログインも前のままで設定でOK。銀行口座をたくさんに分けるのはアホだが、最近の社債は小さな証券会社から売り出されることが多いので、証券口座は多いほど便利。

2010年1月12日火曜日

NHKクロ現:変わる巨大メディア・新聞……そうだわな

立花隆をゲストに呼んでクニヤが「分析」:
クローズアップ現代 NHK:"私たちにとって身近なメディア・新聞をかつてない変化の波が襲っている。世界の新聞ジャーナリズムをリードしてきたアメリカ。収入の7割を占める広告収入が、インターネットの拡大や不況によって激減。新聞の廃刊が相次いでいるのだ。ピューリッツアー賞を何度も受賞してきたニューヨーク・タイムズ紙や、西海岸を代表するサンフランシスコ・クロニクル紙など有名新聞社も経営難に陥っている。新聞社が消えたことによってジャーナリズムの「空白」が生まれ、汚職や選挙違反が増加するのではないか、との専門家の指摘もあり、ジャーナリズムをどう守るのか、国を挙げた議論も始まっている。一方、収入の7割は販売に依存し、経営構造がアメリカとは違う日本でも、将来の生き残りを賭けて新聞業界の取り組みが進められている。日米の現状を通じて、新聞ジャーナリズムの行方を展望する。"

まあ、立花隆の言うとおりだろうね。行き着くところまで行き着くしかない。

トクヴィルは『アメリカの民主政治〈上〉 (講談社学術文庫)』で、新聞を読むアメリカ開拓民家庭の姿にアメリカの将来を確信した。でも、当時のアメリカの新聞といえば、どの町でジャガイモの値段はどうだとか言うしょせん「情報誌」。トクヴィルは「情報」に敏感なアメリカ大衆の姿にこそ近代資本主義の萌芽を見たのである。ところが、いつのまにかそれを「ジャーナリズムはエライ」というインタープリテーションにすり替えられてしまった。エライのは情報であって新聞ではないのである。それを誤解し、新聞は国民大衆を「啓蒙」するエライ存在だと思い上がってしまったのだ。

若造の新聞記者ですら社旗を立てた黒塗りハイヤーに乗って取材に行くようになり、業界団体は資料完備のソファーとベッド付の「記者クラブ」なんかを用意するようになり、マスコミはますます増長するようになった。

これはバブル。長く続くわけもない。案の定、今のザマ。今まで調子に乗りすぎていただけの話にしか過ぎない。バブル崩壊にもいい面があるのである。

情報が欲しければ通信社からのテレタイプ(今のネット配信)で充分。コラムとか解説なんかも、直接コラムニストや学者のブログから入手できるようになった。新聞が唯一優位性を持つのはアソートメント(編集)であろうが、国民はあいつらの勝手な価値観に基ずく押しつけ編集にはもううんざりしているのではないか。

いまだに「既製品」のインタープリテーション(マスコミ編集)を必要とする人たちがまだ居ることは居る。自分じゃ論理の組み立てがうまくできないので「アサヒ的価値観」とか「産経的価値観」をそのまま「買い込み」、それをオウムのように受け売りする人たちだが、段々ネタバレになり、落ち目の絶滅危惧種。新聞も売れなくなる。

しかし問題はむしろNHK。あの二社(アサヒと産経)はアホ丸出しだから買わないという人も、NHKからは視聴料を強制的に取り立てられている。NHKはアサヒと産経を足して二で割ったようなジャンクフードのミックスランチ。国民は自分が悪い趣味に洗脳されるばかりでなく、そのコストを負担しなければいけないのだ。これはもうジョージ・オーウェルの『1984』の世界。

書いていると、あまりにばからしくなってくるので、もう止める。

2010年1月11日月曜日

NHKホリデーにっぽん:31文字のエール~詠み継がれる 震災の歌~……感動的だった!

さっきの番組:
NHK ホリデーにっぽん:31文字のエール~詠み継がれる 震災の歌~ :"神戸市の神戸工業高校には、阪神・淡路大震災以降、生徒が詠み継いできた短歌がある。困難を乗り越えてきた先輩たちの歌に触れ、自分を見つめ直す生徒たちの一冬を追った。"

ほとんど涙が出た。

すべての短歌が良かった。震災でみんなと一緒に死ななかったことに罪悪感を感じる職人さんの「神戸を死に場所にしたい」という短歌は特に良かった。おいらも死なずにすんだ一人として、その気持ちは理解できる(でもそれが実現できない別の理由もある)。災害は共同体意識を醸成する。内田樹先生も肯定的におっしゃっていることだが(これ):
そんなことを訊かれても (内田樹の研究室): "共同体に帰属していれば、耐久消費財のほとんどは「買わずに済む」からである。
誰かが持ってれば「貸して」で済む。
お金もうそうだ。
誰かが持っていれば「貸して」で済む。
銀行もサラ金も要らない。"

同時に、近代人にはそういうおどろおどろしい「共同体」に対する強い抵抗感もある(短歌を作ることに最後まで否定的だった女子高生なんかそうだな)。このあたり関西人のバランス感覚はとても成熟している。

阪神大震災(阪神・淡路大震災というらしいが)は、東京大空襲とともに、政治的に利用されなかった数少ない災害の一つだ。これはとてもよかったと思う。直接的には一人も死ななかったのに空前の大騒ぎをしたイナカの地震や、9/11や原爆なんかがそうだが、人の不幸を種にして特定の利権団体に利益誘導を図ったり自分の政治的主張を通そうとするのは、みっともないことなのである。

2010年1月9日土曜日

「国債相場が暴落しないのは、消費税率を国際水準に合わせれば充分な税収が上がるという合意が市場関係者にあるからだ」(大竹文雄)

今日の日経一面インタビュー。目からウロコでした。おいらは古くさい年寄りなので最近の人は知らないのだが、この人(大竹文雄)は要チェックだな。twitter でも彼のつぶやきを入手できる

でも民主党ポピュリスト政権に消費税を上げる度胸が果たしてあるのかという問題はある。これ。でも愚民を買収すれば勝つ選挙さえ終われば、自民党も反対しないことだろうし、案外簡単に実現できるのではないか。「弱者」を詐称し、楽して政府からおカネ(都市貧民の税金)を貰って裕福な消費活動をしている農村既得権集団も、これでようやく税金を払うことになるのだ。そうなればニッポンは買いだな。

2010年1月8日金曜日

石原慎太郎:「派遣村の価値観は甘えている、どっかでけじめを付けないといけない」

慎太郎曰く:
石原知事「求職者は甘えている」 「生活保護受けた方が楽」 - 47NEWS(よんななニュース): "石原慎太郎東京都知事は18日、さいたま市で開かれた8都県市首脳会議で、東京・日比谷の「年越し派遣村」などの求職者について「とにかく就職世話しても、これも嫌だ、あれも嫌だ、要するに生活保護受けた方が楽だという、そういう価値観。甘えているところがある」などと発言した。"

NHKニュースでは、さらに「どっかでけじめを付けないといけない」と発言したという。

その通りだと思う。でもこれは「派遣村」ばかりの問題じゃないだろう。一層「けじめを付けなければいけない」のは、いま一世を風靡している「何とか戸別所得保障」とか言う制度化された既得権集団に対する「生活保護制度」ではないのか? 都市貧民は、現実に存在する可哀想な存在だ。一方、農村既得権集団は、決してホームレスにはならないし、飢え死にする危険はゼロ。彼らの方がよほど経済的にめぐまれた存在である。そのくせ、われわれ納税者からお金を貰うことだけを考えていて、現実にそれに成功を収めている。莫大なお金が彼らに払われているのだ。

充分おカネを持っている既得権集団を、都市貧民の犠牲の上で所得保障をしてさらに保護することこそが、ニッポン経済を歪曲してきてしまった。このツケを今みんなが払っている。彼らの方が、可哀想なホームレスより、よほど日本経済に害悪をもたらしている。慎太郎はこの辺をよく考えるべきだったと思う。

さっき、曙橋の駅で「ビッグイッシュー」を懸命に売っていたホームレスを見かけた。彼らの方が何とか既得権集団よりも、よほど真面目で一生懸命だ。彼らは、普通のノーミンとは違い、農地解放でただで貰った土地を親から受け継ぐことができなかったばかりに、農民既得権層に毟られ、ホームレスとなってしまったのだ。このままバラマキを続けていると、大都市サラリーマンも、しょせん同じ境遇に陥ることになる。

2010年1月7日木曜日

NHKクロ現:野菜工場を世界のブランドに……「国の光」がこうではうまく行かないと思う

今夜のクロ現:
クローズアップ現代 NHK 野菜工場:"最新のテクノロジーを駆使し、野菜を育てる「野菜工場」。今、工場遊休地の活用や雇用拡大、さらにフードロス対策など、地域が抱えている課題解決の切り札として注目を集め、メーカーや商社など異業種からの参入が相次いでいる。さらに、今、野菜工場を新たな輸出産業にしようという動きも始まっている。ビジネスモデルの可能性を探る。"

「野菜工場」とは農家が農地を独占しているおかげで農産物価格が途方もなく高くなってしまった日本では有効なビジネスモデルだと思うが、しかし、これを世界に輸出できるのであろうか。クニヤはニッポンの「ブランド・ブランド」と強調していたが、果たしてどうだろう?

「ブランド力」とは、平たく言えば「記号的”味の素”を加えることで実質価値の十倍高く売れる能力」と言うこと。ルイ・ヴィトンはこれで塩化ビニールのカバンを数万円〜数十万円の値段でニッポンの女どもに売り付けて大儲けした。ニューヨークのティファニーも同じ。いずれもパリとかニューヨークとかの都市が文句なくすごいことがブランド形成の背景にあった。ケンゾーもフジタもパリで働いたからこそ世界的ブランドになることに成功したのである。ひるがえって日本はどうか。いまや世界からバカにされている。

これが参考になると思う(「観光」を「ブランド」と読み替えれば意味が通る):
Letter from Yochomachi: 9/27 Today 世界観光の日……日本一の「観光地」はどこ?: "「観光」の語は、『易経』に始めて見える。「国の光を観る。用て王に賓たるに利あり」とあるのがそれである。「国の光を観る」とは、国の盛んな繁栄の様を観察するということ。そうした輝かしさにあこがれて、多くの人々が国王の賓客になろうとする。"

日本では都市からイナカにおカネを移転させるという日本政府の政策が数十年にわたって継続されてきたおかげで、日本を代表するべき東京は世界でも甚だみすぼらしい都市に成り果ててしまった。中国・韓国の都市に較べても非常に見劣るイナカ都市景観と実質である。これでは日本企業は「ブランド」とやらで儲けることはとうてい出来ない。「野菜工場」の世界のブランド化も、しょせんクニヤの見果てぬ夢に終わる。ニッポンの歪んだ現実を正すことから始めなくてはならない。

日本の輸出産業は、戦後「安くてよいものを大量に供給する」という地道な仕事を積み重ねることで、はじめて世界の信頼を得ることに成功したのである。ニッポンの農水業も、輸出産業を目指すというのであれば、安易に「ブランド」とやらで誤魔化して儲けることを考えるのではなく、ビジネスの原点を忘れてはいけない。

2010年1月6日水曜日

NHKクローズアップ現代:地産地消の『美少女図鑑』がニッポンを救う……アホらしい!

あまりのアホらしさに言葉を失いました:
クローズアップ現代 NHK 1月6日(水)放送 “逆転の発想”が日本経済を救う:"地方でも、すでにある物と人の価値を再発見し活性化につなげる動きが広がっている。新潟で誕生したのは「美少女図鑑」と呼ばれる高品質のフリーペーパー。美容室や衣料店などが地元のモデルをコーディネートし、若者にアピールすることでファッションの”地産地消”を生み出している。"
この「図鑑」という言葉はこういう意味だ:
博物学の動・植・鉱物などの全品種を分類して配列し、各品種につき形状を詳細に説明し、実物を写生または写真によって具体的に示したもの。(C)小学館
図鑑とはものの細部の特徴を綿密に具体的に示すものなのである。それを「女性」に対して使っている。オンナは「もの」として観察鑑賞するべきものだという価値観が背景にある。 クニヤが嬉々としてこのプロジェクトに賛同していることに驚いた。この「美少女原色図鑑」とやらのワーディングは、そのスキャンダラスな響きが受けて、もう30年以上使われている実に陳腐な表現。いまやスキャンダラス性すら失っている。そんなものでどうしてニッポンの将来が救われるのか!

しょせんイナカモンの「人まねコピー」的発想なのである。「グローバル化の時代」を「地産地消」で売り込むという、そもそも言語矛盾的な番組組み立てだが、NHKとしてはしょせんイナカの視聴者に受ければそれでいいのだろうが、嘆かわしいことである。イナカ価値観万歳のNHK「クロ現」はここまで墜ちたか。

イナカ文化を悪く言うつもりはないが、自分の稼ぎ以上の分配を要求するのが当たり前という「クレクレ主義」がイナカに定着してしまったことは忌まわしいことである。彼らが自民党バラマキ政治のおかげで日本の経済的支配階級と化したことで、この「クレクレ主義」文化がニッポン全体に蔓延してしまった。だからニッポンは落ち目となったのである。

2010年1月5日火曜日

「空元気」で不況が引き飛ばせるという思いこみの方がおかしい

正月が終わり、各社の年頭社長挨拶が新聞で紹介されている。不況の中で現実を正直に言えばみんがが萎縮してしまうから、正月でもあるし出来るだけポジティブなことを言いたいという「社長さん」の思いは分かるが、それも過ぎると現実離れしたマスターベーションに過ぎなくなる。ニッポンは「落ち目」というより、崖から飛び出してしまって「墜落まっしぐら」の過程にある。その現実を直視することから経営判断が始まるのではないか。

これは人類の歴史で何十回となく経験してきた過程。人類の歴史はバブルとバブル崩壊の繰り返しにあった。これは近代資本主義が始まる以前から繰り返されてきたこと。ニッポンでも「奢れる平家は久しからず、諸行無常の響き有り」と平家物語に書かれたとおりである。なにもホリエモンや小泉改革がもたらしたものではない。何十年もいい気になりすぎてきた報いなのである。

みんなが「空元気」を出して、なけなしのおカネを消費に回せば景気が良くなるというものではない。今晩の日経に、昼間から「なかま」と一緒に女同士で「親子カフェ」でお酒を酌み交わす「子育て主婦」の消費パターンがあたかもすばらしいものであるような紹介記事があったが、これははっきり言ってグロテスクだ。そういうことをしている主婦の行く先は、しょせん見えている。可哀想だが自分が撒いた種だ。

不況とか恐慌というものは、人間の愚かさを是正する神様の意志だ。正面から受け入れるべきものなのである。墜ちるところまで墜ちてはじめて人間は正しい道を見いだすことが出来る。坂口安吾が言ったとおりである。




2/17 Today 安吾忌、坂口安吾没(1955)……人は正しく墜ちることが必要:"人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちきることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。(『堕落論』昭和21年4月1日「新潮」収録)"


国民はみんな節約に走っているという。とても正しいことだ。今まで国民は一個二万円のメロンとかに無駄遣いをしすぎてきたからだ。これを可能にしたのが自民党のばらまき政治だが、この戦後の自民党の「クレクレ主義」のイナカへの迎合ばらまき政治のおかげで腐れ果ててしまったニッポンは、堕落の過程をまっしぐらに進んでいる。いったん墜ちるところまで墜ちないといけないのだと思う。何も、民主党が自民党の真似をすることはない(ところが今の民主党がやっていることは、戦後の自民党がやったきた「ばらまき政治」の規模拡大バージョンに成り果てている、おかしい)。

民主党内の市場重視派と自民党内の「非バラマキ」良識グループを合体し、それが旧自民党のイナカ既得権農水勢力と今の民主党のバラマキ勢力の連合と対峙することで、はじめてニッポンに正しい対立軸が誕生する。「都市対イナカ」の対立軸とも言えるし「経済合理派とバラマキ・ポピュリストグループ」との対峙であるとも言える。これが成立しないとニッポンの民主政治は成熟しない。

2010年1月3日日曜日

NHK:「スペイン・オリーブ村でホームステイ」……スペインのオリーブ農家は「素朴」だって

ふ〜ん、この番組:
NHK 暮らしてみる旅~スペイン・オリーブ村でホームステイ~: "ヨーロッパには、恵まれた自然に抱かれた村人の昔ながらの暮らしがある。日本の町や村から1人の女性が足をのばし、ホームステイ。今回は、スペインのオリーブの産地として名高いイノハーレス村を訪ねる。向かったのは、香川・小豆島でオリーブ料理を創作しているかほるさん(58歳)と、タレント・今井翼(28歳)。海外がはじめてのかほるさんは、ホームステイを通し、素朴なスローライフに“豊かな暮らし”を感じていく。"

おいらには、スペインのオリーブ農家はたいへん高度な生産性の高いオリーブ生産をやっていると感じたけれどな〜。とても大規模で、機械化されており、あれなら高品質のオリーブも大量に安く作れるはずだと感心した(スペイン産のオリーブの品質は世界一じゃないか)。でも、気候がオリーブ生産に向いておらず、規模が小さく、国際的に見て非常に生産性の低いオリーブ産地に過ぎない小豆島から來た人には、スペインのオリーブ農家の生活は「素朴」と映るらしい。オリーブ農家の暮らし向きが日本の方が良いからだろうが、ちょっとおかしいな〜。

ニッポンのオリーブ生産地小豆島ではグロソブの保有率が日本平均の三倍にもなる:
■ グロソブの島 - The Fitting Room  : "■グロソブの島
香川県小豆島。瀬戸内に浮かぶこの島で「グロソブ」が爆発的に売れている。世界の債券に投資する投資信託で正式名称はグローバル・ソブリン・オープン。国際投信投資顧問が運用する。島での残高は100億円を突破。人口対比で日本全体の3倍の「濃度」で保有している計算だ。"

グロソブの是非については何にも言わない(日経新聞は批判的だが)。今さら儲けなくてもいいと思う余裕資金をもつ階層にとっては安定的で有利な運用方法だと思う(リーマンショックですべての資産は総崩れになったがグロソブは被害が少なかった)。小豆島の住民はやっぱりえらかったのである。でも元手がないと話にならない話。小豆島の住民は豊かだったのである。

スペインの方が貧しい国だからスペインのオリーブ農家が日本のオリーブ農家に較べて貧しいのは当たり前と思うかも知れないが、ニッポンの一人あたりGDPはイタリアにもとっくの昔に抜かれ、いまではギリシャやスペインにも抜かれかかっている。大した差はない。ニッポンの生産性の悪い農家は、「ブランド」とやらで国民を洗脳し、その生産性の低さにもかかわらず国内で相対的に有利な所得配分を受けているから、はるかに大規模で生産性のいいスペインのオリーブ農家よりよい暮らしが出来るのである。そのツケは都市住民が自分たちの生活水準を犠牲にすることで払っている。これはオリーブに限ったことではない。

こういう経済のゆがみを直してゆかない限り、ニッポンの将来はなく、国民経済の負担の重みに耐えきれず、みんなどんどん貧しくなってしまう。

2010年1月2日土曜日

なぞなぞ(グルメ系):宮中のお雑煮はどんなものなのでしょうか?

ネットウヨを激高させる話題を一つ。ニッポンの「美しい伝統」であるお雑煮。地方地方で様々なお雑煮がある。いずれもとても美味しそう。ところで天皇家ではお正月にどんなお雑煮を召し上がっているのだろう。皇居の所在地である関東ゆかりのすまし汁仕立てか、それとも伝統の京都風の白味噌仕立てか? 正解はお餅に白味噌とゴボウ。でも汁仕立てではない。こんなもの:



解説はいろいろあるが、wikipedia によれば:
菱葩餅 - Wikipedia: "菱葩餅(ひしはなびらもち)は、ごぼうと白味噌餡とピンク色の餅を、餅もしくは求肥で包んだ和菓子である。通称花びら餅。
当初はごぼうが2 本であったが、現在では1 本のものが主流である。 平安時代の新年行事「歯固めの儀式」を簡略化したもので、600年も宮中のおせち料理の一つと考えられてきた。 歯固めの儀式では長寿を願い、餅の上に赤い菱餅を敷き、その上に猪肉や大根、鮎の塩漬け、瓜などをのせて食べていたが、だんだん簡略化され、餅の中に食品を包んだもの(宮中雑煮とよばれた)を、公家に配るようになり、さらには鮎はごぼうに、雑煮は餅と味噌餡を模したものとなった。"

おひな様に飾る段々に積んだ菱餅みたいなもんだが、おいらがこれを知ったのは、美智子妃殿下が天皇家にお嫁に行かれたときのこと。新聞で宮中のお雑煮として紹介されていた。おいらは美智子妃殿下は可哀想に、お正月なのに普通の「お雑煮」が食えないのだと怒ったものだ。でもこれだと、少なくともモチを喉につまらせる事故は起こりそうにない。合理的だ。

ニッポンの古来からの「美しい伝統」とやらは、最近作られたものが多く本当の古来からのものは少ないという例。過去を過大に美化するNHKの大河ドラマなんかその典型だな。

2010年1月1日金曜日

年の始めに「日々是好日」と「長生きリスク」を考える

おいらは年賀状は書かないのだが貰うと嬉しい。同級生に抹香臭い男がいて、毎年正月にはわれわれ凡人の精神修養のための言葉を送ってくれる。今年は中部経典131『日々是好日』。ネットで原文を見つけたので書き写さなくてもいいので楽。これ:
スリランカ寺関西 兵庫県伊丹市にあるテーラワーダ仏教のお寺: "「日々是好日」経  (中部経典131)

過去を追いゆくことなく また未来を願いゆくことなし
過去はすでに過ぎ去りしもの 未来はまだ来ぬものゆえに
現に存在している現象を その場その場で観察し
揺らぐことなく動じることなく 智者はそを修するがよい
今日こそ努め励むべきなり 誰が明日の死を知ろう
されば死の大軍に 我ら煩うことなし
昼夜に怠ることなく かように住み、励む
これまさに「日々是好日」と 寂静者なる牟尼は説く"

「過去はすでに過ぎ去りしもの、未来はまだ來ぬもの」という言葉は、いいですな〜。座右の銘にしよう。

でもやっぱし気になることがある。「過去に執着するな」というのはよい。しかし「未来に恐れをもつな」というのは、果たしてどうか。お釈迦様は「死を恐れるな」という風におっしゃっているようだが、おいら団塊の世代以上の高齢者が恐れているのは死ぬことではない。逆に長生きしすぎることが心配なのである。いわゆる「長生きリスク」として10年以上前から恐れられてきたことだが、いまだに有効な対処法がないのである。だから高齢者は倹約するしかない。高齢者はおカネを持っているはずだ、なぜ全部使わないのだとエライ評論家センセーたちは年寄りを非難されるが、平均寿命までに貯金を全部使い切ってしまった後で、不幸にも長生きすることになってしまったらどうするのか。その時はいさぎよく飢え死にしろと言うのも理屈ではあろうが、おいらはいやだ。

ところがフランスでは19世紀の段階で既にこのリスクへの金融的対処方法が、何らの余分の税金を使うことなく民間ベースで実現されていた。なぜニッポンでは無理なのかを考えてみる(面白いので「続きを読む」をクリックしてください)。

フランスの年金制度というのは面白い。バルザックなんか読むと詳しく分かるが、公的年金制度ではなく、数多くの民間年金システムが存在した。条件は「相対」で決まる。面白いのは年寄りが考えている自分の生存年数は普通の平均寿命より長いのが普通で(みんな自分だけは長生きすると思っているのだ)、年寄りに年金を売り付けるのがいい商売となる。でも一生一定のおカネが保障されるというのは安心感があり、おかげで19世紀末期のパリには「ランティエ」という巨大な年金生活者層が生まれ、彼らの生活パターンは一つの文化となった。安心があると年寄りもお金を使うのだ。しかしいまのニッポンでそんな安心感があるのは戸別所得保障制度がある農家ぐらいなもん。

モーパッサンにもこの種のお話しが出てくる。強欲な婆さんの家を、婆さんが生きているうちは毎月これだけ払うが死んだら家を貰うという条件で買ったのはいいけれど(今のリバースモーゲッジですな)、婆さんはなかなか死なない。困り果てた買い主は婆さんに酒をプレゼントし飲酒癖を植えつけ、うまいこと肝硬変で死なせることに成功しみんなハッピーになりましたとさ、というモーパッサン一流の「ノット・ポリティカリーコレクト」な小説である。

必要は発明の母であり19世紀フランスでは市場のニーズに沿った多くの「金融商品」が市場に提供されていたと言うことである。ところがいまのニッポンではこういった商品はきわめて限定されている。なぜか。銀行側や若い世代がリスクを取らないからだ。現在のリバースモーゲッジは超保守的な前提に立っているもので、おいらみたいな酒飲みで危険なスポーツが好きな人間は早く死ぬはずなのでもっと良い条件を提供しても貸し主は十分儲かると思うのだがそういうオファーは残念ながらない。みんな一緒に仲良く平等なシステムなのである。リスクを取らない資本主義は資本主義ではない。市場が機能していないという意味で、現代ニッポンの資本主義は19世紀フランスよりも程度が悪いのである。

年寄りに金を使わせようと思うなら、若い世代は果敢にリスクを取り年寄りをネタにして儲ける知恵を働かせるべきだと思う。アガサ・クリスティー流の相続目当ての殺人事件が多発することになるかも知れないが、そんなのもスリルがあって面白いではないか。